Try WiMAXを借りてみて。

自宅では窓際持っていってもほとんど電波入らずだめだったのだが、今回のDebian温泉では2日目の清見台公民館2階の101研修室では無事に使えた。宿の竜宮城ホテル三日月の1階ではダメ。まぁ宿は回りに民家のほとんどない辺鄙なところなので仕方ないだろう。初日の木更津高専の教室でも試せれば良かったのだが、ちょっとそこまでやる余裕がなかったので断念。

と言うわけで、木更津高専の付近では3月末までにサービス開始とUQ WiMAXは情報公開しているようだが、とりあえず使える模様なのでご参考までに。導入検討している人は、事前にTry WiMAXで改めて確認しておくとよいだろう。

第61回東京エリアDebian勉強会&第2回Debian温泉

今月のDebian勉強会 は木更津高専の教室とその近所の公民館をお借りして1泊2日で開催しました。木更津側で会場の準備、参加者の募集をしてくださった坂口さん、大枝先生、宿泊手続きを中心に幹事サポートをしてくださったやまねさん、プレゼンターの皆さん(やまねさん、日比野さん、坂口さん、上川さん)、そして参加していただいた皆さんのおかげで、無事成功裏に終えることができたと思います。皆様ありがとうございました。

セッションの時間配分や宿と会場との移動が忙しなくなってしまった点など、タイムスケジュールに問題があったのは私の至らぬ点が原因ですので、反省点として次回以降に活かしたいと思います。

勉強会で行った内容については、事前配布資料や発表資料、参加者のブログにも掲載されると思いますのでここでは特に触れませんが、今回の勉強会の表向きのテーマは「関数型言語」「温泉」でしたが、開催してみて気づいた真のテーマは「縁」でした。やまねさんが事前課題回答、セッションでDebianを使う理由に「縁」を挙げていましたが、まさに「縁」がきっかけで開催でき、今回の勉強会をきっかけに新たな「縁」が出来たなと思います。Debian勉強会を通じた縁以外に、関数型言語やニューラルネットワークといった興味のある話題を通じた縁、debian-usersのMLを通じた縁、DebianとUbuntuというディストリビューションを通じた縁、一昨年のDebian温泉を通じた縁、などなど色々ありますが、特に昨年秋のOSCで「東京都心だけでなく木更津などの郊外でも開催してほしい」と坂口さんが要望を出し、現地の幹事として実際に動いてくださった、というのが一番大きな縁じゃないかと思います。

今週末にはOSC 2010 Tokyo/Springがあり、そこで東京エリアDebian勉強会もブースとセッションを出すので、今回参加された皆さんはもちろん、参加出来なかった方も、参加したことが無かったけど興味が出てきた方も、ぜひ足を運んでいただければと思います。「縁」を深め、また新たな「縁」ができるとよいですね。

うんこから緑?

本日も食事中にこまちゃんがうんこをしてくれたので、始末をしていたらいつも違うやたらあざやかな緑色が見えるのでなんだろうとうんこ分解の日課をやってみたら、なんと輪ゴム!よくまあ詰まって腸閉塞にならんかったもんだ。こまちゃん、んなもん食っちゃあかんよ。

“Google Calendarに登録”の予定をGoogle Appsのカレンダーに登録する。

普通にやると、Googleアカウントのカレンダーがロードされて、そっちにしか登録できないので、Google Appsをメインに使っている人にはちょいと不便。でもURLを書き換えてやるだけで対応できます。

例えば、 CouchDB-JPの今度のOSC Tokyo 2010/Springの後の懇親会 1 。先日行った勉強会で教えてもらったTweetviteを使っていますが、ここにもカレンダーに登録するために”Add to Calendar”があります。これをクリックし、Google Calendarのリンクをクリックすると、呼ばれるリンクは次のとおり。

長いのでリンクをコピーして見てね。

Google Appsのカレンダーに登録するためには、”http://www.google.com/calendar/render”の、”calendar/render/”の部分を、”calendar/hosted/yourdomain/render/”と書き換えてやればOK。”yourdomain”の部分に使っているドメインを当てます。”hoge.com”なら”calendar/hosted/hoge.com/render/”ですな。

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Debian勉強会は明日明後日でDebian温泉があるのでOSCの後はパスしる。まぁぶっちゃけ合流でもよい気も。

子どもの絵はなぜ抽象的なのか?

つぶやきながら頭の中を整理したのをまとめておいた。

http://twitter.com/mkouhei/status/8946620518

http://twitter.com/mkouhei/status/8946787596

http://twitter.com/mkouhei/status/8946819417

http://twitter.com/mkouhei/status/8947022067

晴海トリトンスクエアで大人から子供までの絵オープンギャラリーが行われているのだが、ふとなぜ子供の絵はあんなに抽象的なのだろうか?と思った。子供には細かく綺麗な絵を描けないのだろうか?自分が子供のころ描いた絵はどうだったか?見えている世界が大人の時とそんなに違うのだろうか?と。

大人にもたまにシュールな絵を描く人もいるが、見えている(認識している)世界が違うのか、それとも表現力が足りないのか?認識している世界を同じように描こうとしているのに表現力が足りなくて諦めているのか、それとも認識したものと同じレベルまで描けて満足した結果なのだろうか?と。

そんなことを昨日考えていたので、同じようなことを考えている人はいないのかと探してみたら、こんな話が出てきた。

http://ryuusinndo.com/art/child_real.htm

子どもは常に自分の世界を表現したいという欲求を持っている。子どもに紙と鉛筆を持たせるとすぐに絵を描き始める。絵を描かせると大人にはわからない中ば抽象的な絵が出来上がる。しかし、子どもによく聞いてみると実はとても内容がしっかりしている。子どもにとっては何を描いたのかということがしっかりしているのである。

子どもは大人と比べて認識能力がまだ低く物事を客観的にとらえることが難しい。ある部分に対して集中し、描こうとするが他の部分には注意が向かない。そのため大人の常識とはかけ離れた絵を描いてしまう。例えば壁の向こうにいる人を壁と同時に描いたりする。そうすると子どもにとっては壁の向こうにいる人を描いたのに、大人から見ると壁の中に人がいるように見えてしまう。もしくは四角形の中に人がいるように見えてしまう。

子どもの絵が大人からすると未熟に見えるのは子どもの脳内における未発達さだけではなく、体の未発達の影響もある。例えば、脳細胞の成長は平均して六歳になるころに90%となるそうだ。それに対して神経系や、筋肉や骨格の成長は青年期まで続く。そうすると6歳から12歳の間、子どもは見たり考えたり空想する能力の方が体の運動よりも成長しているため、絵の方も未熟に見えるのだ。その未熟さは認識と表現(最終的に絵に表れる段階)のずれにある。

(snip)

子どものリアリティに想像の世界との関連があることを忘れてはならない。なぜなら現実の認識は想像との違いを認識することから始まるからである。子どもは具体的な要素よりも頭の中にある世界を表現しようとする気持ちが強い。すなわち写実より抽象の要素が強いのである。

なぜ抽象の要素が強いかというと子供はリアリティーをもって世界を眺めるのだが知らない言葉が多すぎるのである。例えば大人は一匹一匹の犬に個性があり違う存在なのだと口で言われればわかるのだが、それを犬という言葉でまとめてしまうのである。大人になると物事の現象をある言葉で説明して終わりにしてしまう傾向にある。ゆっくりと観察したり見たもの描こうという欲求が減るのである。

こういうことを考えてくると、子どもというのは知らないがゆえに世界を真剣に眺め、表現しようとしている。「知ったように」世界を処理しようとしない。自分の触れる事のできる感覚に直そうとし、つかめる形態に加工して世界を何とか理解しようとしている。

とても納得した。と同時によくよく考えたら、絵を描く、という行為そのものが結局は見えているもの全てを描くのではなく、多かれ少なかれ何らかの情報を枌落として、自分の描きたい世界を描く抽象的なものじゃないかということに気づいた。